2009年09月27日

中宮寺

こんにちは。お久しぶりです。

結膜炎になってしまい、なかなか更新できませんでした。

さて、今回も聖徳太子ゆかりの地ということで、中宮寺について報告します。



 中宮寺

聖徳太子が母の穴穂部間人皇后(用明天皇皇后)の宮跡に、母の菩提を弔うために創建したといわれる。

元々は、現在地から東へ約500m離れた所にあったと言われ、鵤尼寺(いかるがにじ)あるいは法興尼寺とも呼ばれていた。

発掘調査の結果、創建当初は三重塔、講堂が直線状に並ぶ四天王寺式伽藍配置であったことが判明した。

天文年間に尊智女王が入寺したのち、皇女や王女が相次いで入門し門跡寺院となり、中宮寺御所あるいは斑鳩御所と呼ばれるようになった。

法華寺、円照寺とともに、大和三門跡尼寺に数えられる。



 アクセス

近鉄奈良駅から奈良交通バス法隆寺前で約50分、中宮寺前下車徒歩約7分

法隆寺へ行かれる場合は、法隆寺東院伽藍からすぐ






中宮寺本堂

 中宮寺本堂


 本尊 弥勒菩薩半跏像(如意輪観音像)

飛鳥時代、国宝。
材質は楠(くすのき)。

寺伝では、如意輪観音とされているが、近年弥勒菩薩説が有力となっている。

現在の像は、漆黒であるがかつては赤や緑といった極彩色に塗られていたとされる。



 天寿国曼荼羅繍帳

飛鳥時代、国宝。

本尊、菩薩半跏像の手前左手に置かれている。
寺に展示されているのは複製品で、現物は奈良国立博物館に保存されている。

長く行方不明だったものを信如尼が法隆寺の綱封蔵(こうふうぞう)から発見したと言われる。



まだ目の調子が良くないので、頻繁に更新できませんが、これからもブログは続けていこうと思いますのでよろしくお願いします。

では、今回の報告は終了します。
ラベル:聖徳太子 斑鳩
posted by チヨ at 17:10| 奈良 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月04日

法隆寺 大宝蔵院と東院伽藍

こんにちは。

今回も前回に続いて法隆寺について報告します。

聖霊院から少し東へ進んだ所に大宝蔵院はあります。
こちらは、中に展示されている仏像はもちろん、建物の外観も写真撮影はNGです。


 大宝蔵院

1998(平成10)年完成。
西宝蔵、百済観音堂、東宝蔵から成り、法隆寺に伝わる仏像、宝物が多数展示されている。


*主な展示物


 玉虫厨子(飛鳥時代、国宝)

推古天皇遺愛の厨子。
檜材、黒漆塗り。
四周の透かし金具の下にもと玉虫の羽が輝いていたことから、この名がついたと言われている。


 伝橘夫人念持仏厨子(飛鳥時代、国宝)

橘夫人(たちばなぶにん=藤原不比等の妻、光明皇后の母)の念持仏殿だったと言われる。
厨子内の阿弥陀三尊仏は、中尊、阿弥陀如来、脇侍は向かって右が観音菩薩、左が勢至菩薩。


 百済観音(飛鳥時代、国宝)

木造で、百済の仏師が造ったと言われている。
和辻哲郎の「古都巡礼」により広く知られるようになったという。


 夢違観音(飛鳥時代、国宝)

正式名称、観世音菩薩立像。
悪い夢を良い夢に変えてくれると言われている。
百済観音、救世観音とともに、法隆寺の三観音と言われている。


 九面観音(唐代、国宝)

正式名称、木造観音菩薩立像。
頭部に菩薩形の七面、頭頂部に如来形の一面(欠損)、本面の合計九面あることから、九面観音と呼ばれるようになったという。
719(養老3)年、唐から請来されたと法隆寺に記録が残されているという。


 百万塔

恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱後、人心を鎮めるために、称徳天皇の発願で造られたと言われる。
100万基の三重小塔は10万基ずつ、
東大寺、興福寺、薬師寺、元興寺、大安寺、西大寺、法隆寺、弘福寺の大和八大寺と四天王寺、崇福寺の二大寺、計十大寺に分置されたという。


  

大宝蔵院を出て東大門をくぐり、さらに東に進んだところに東院伽藍があります。



 東院伽藍

元々は、聖徳太子の住まいのあった斑鳩宮だった。
622年に太子が亡くなり、さらに643年に息子の山背大兄王とその一族が蘇我入鹿に滅ぼされると、宮は荒れ果ててしまった。
739(天平11)年頃、この荒廃を嘆き悲しんだ僧行信はこの地に上宮王院を建て、中央に八角円堂(現夢殿)を建立し、「救世観音」を安置した。これが東院の始まりと言われる。
その後、一時荒廃するが、法隆寺の高僧道詮が、859(貞観元)年に東院の修理を行ったという。



東院伽藍の中心は何と言っても、八角円堂の夢殿(奈良時代、国宝)です。

夢殿には、行信像、道詮像、そして本尊の救世観音像等の国宝が安置されています。


 行信僧都坐像(奈良時代、国宝)

夢殿の東北に安置される脱活乾漆造の像。
尖った頭、吊りあがった目、高く鋭い鼻、左右に大きく張り出した耳をしている。


 道詮律師坐像(平安時代、国宝)

夢殿の西北に安置されている塑像。
きつめの顔をした行信像とは対照的に、穏やかな表情をしている。


 救世観音立像(飛鳥時代、国宝)

夢殿の本尊。
聖徳太子の念持仏だったと言われる。
像高は約178cmで聖徳太子の等身大と言われている。
寺の僧ですら見ることのできなかった絶対の秘仏だったが、アメリカの東洋美術研究家アーネスト・フェノロサにより公開されるようになった。
現在は、春と秋の年2回特別開扉される。



夢殿

  夢 殿



救世観音像は、間もなく10月22日〜11月22日まで特別開扉されます。


これで今回の報告を終了します。
ラベル:聖徳太子 斑鳩
posted by チヨ at 10:42| 奈良 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする