2010年10月30日

再び吉野へ7 再び金峯山寺へ

最後に、再び金峯山寺に立ち寄ることにしました。



というのも、前回は蔵王権現様にお会いすることが目的だったので、蔵王堂以外境内をじっくり見ていなかったのです。



勝手神社から金峯山寺へ向かう途中に、東南院がありました。



東南院は、前にも書きましたが、大峯山寺の5つある護持院の一つです。



境内にある多宝塔は、和歌山県海南市の野上八幡から建物を移築したもので、塔内には、大日如来像が安置されています。通常、扉が閉まっていますが、お寺に申し出ると拝観も可能だそうです。



金峯山寺に到着。



蔵王堂の前には、石柵で囲われた中に、4本の桜の木が植えられていて、「四本桜」と呼ばれています。



金峯山寺四本桜

 蔵王堂前の四本桜



ここは、南朝護良親王が、最後の酒宴を開いた場所と伝えられているそうです。



ここから、西(蔵王堂に向かって左)を少し下ると、南朝妙法殿という八角三重塔があります。



南朝妙法殿

南朝妙法殿



南朝は最初、吉水院(現・吉水神社)を皇居としていましたが、手狭なため、この場所にあった実城寺を金輪王寺(きんりんおうじ)と改め、ここに皇居を移しました。



金輪王寺は明治初年に廃寺となりましたが、1956(昭和31)年、南朝諸天皇と第二次世界大戦の戦死者等を祀る南朝妙法殿が建てられました。



ここからさらに西へ、長〜〜〜い石段を降りると、脳天大神(龍王院)があります。



とにかく、この石段半端じゃなく長いです。がく〜(落胆した顔)
下りでも10分以上はかかります。



ようやく、到着。



ここ脳天大神は、首から上の病気にご利益があると言われているそうです。



脳天大神

 脳天大神



お参りを済ませると、再びあの長い石段で戻らなければなりません。
帰りは、登りだからさらにきついです。もうやだ〜(悲しい顔)



なんとか、蔵王堂の前まで戻ってきた時には、足はパンパン、心臓もバクバク言ってました。



最後に、せっかくここまで来たのだから、もう一度蔵王権現様にお会いしてから帰ろうと思い、拝観料を払って、蔵王堂の中へ。



やっぱり、凄い迫力でした。



ちなみに、今回は内陣からも拝観させていただきました。わーい(嬉しい顔)



*内陣からの拝観は、いつでもやっておられるのかどうかは分かりません。念のため。


ラベル:吉野
posted by チヨ at 09:43| 奈良 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月27日

再び吉野へ6 勝手神社と大日寺

西行庵を訪ねた後は、再びバス停へと戻り、山を降りることにしました。



勝手神社前でバスを降り、ここからは歩くことにしました。
バスを降りるとすぐそばに、勝手神社がありました。



勝手神社は、義経と別れた静御前が追手に捕まえられた時、請われて舞を舞ったと言われている場所です。



残念ながら社殿が焼失してしまったため、今は立ち入り禁止になっています。



勝手神社

 勝手神社




勝手神社に向かって右の道を少し下って行くと、民家の奥にひっそりと小さなお寺が建っています。
ここが、大日寺です。



大日寺は、元は金峯山寺の僧坊だったところだそうです。




南朝の護良親王に仕え、親王の身代わりとなって、金峯山寺の二天門の上で割腹自殺したという村上義光とその息子の義隆の菩提寺にもなっています。



こちらのお寺には、平安時代の五智如来坐像(重文)が祀られています。



五体すべてが完全に残っているのは、稀なことなのだそうです。



ちなみに、大日寺の拝観料は400円です。



大日寺

大日寺










ラベル:吉野
posted by チヨ at 13:48| 奈良 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月25日

再び吉野へ5 西行庵

金峯神社の右脇にある長い坂道を登り、



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さらに、自然の山道をしばらく下っていくと、



「とくとくと 落つる岩間の 苔清水 汲みほすまでも なきすまひかな」と西行法師が歌に詠んだ苔清水があります。



苔清水

 苔清水



ここからさらに下っていくと、西行庵があります。



西行庵

西行庵



ここは、都を捨てた西行法師が3年間隠棲したと言われている場所で、現在は、桜と紅葉の隠れた名所になっています。



庵の中には、西行法師の木造が置かれています。



西行像



金峯神社から西行庵までは、人にもよりますがだいたい歩いて20分ぐらいです。



山歩きにあまり慣れていないと、ちょっときついです。



正直言いますと、学生時代によく寒中登山とかさせられますけど、私、あれって大嫌いだったんですよね。でも今回は、しんどくても結構楽しかったです。



きっと、誰かに強制されたわけでもなく、、自分のペースで無理せずに歩いていたからだと思います。


















ラベル:吉野
posted by チヨ at 13:42| 奈良 🌁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

再び吉野へ4 金峯神社

竹林院前から奥千本までは、バスで約15分です。



バスを降りると、目の前に鳥居があります。



修行門



修験道の根本道場である山上ヶ岳の大峯山寺蔵王堂までには、発心、修業、等覚(とうがく)、妙覚の4つの門があるそうですが、この門はそのうちの、修業門らしいです。



この門をくぐり、5分くらい坂道を登っていくと、金峯神社に到着です。



金峯神社は、金峯山の地主神、金山毘古神(かなやまひこのかみ)を祀る神社です。



今では、ひっそりとたたずむ神社ですが、かつては金峯山寺とともに大いに栄えたそうです。



金峯神社

 金峯神社



境内の左側の道を下ると、義経隠れ塔があります。
その名の通り、義経が追手を逃れ隠れたといわれている場所です。



ついには敵に見つかり囲まれた時、義経は、ここの屋根を蹴破って逃げたといわれており、それ故、蹴抜塔(けぬけのとう)とも呼ばれているそうです。



義経隠れ塔

 義経隠れ塔








ラベル:吉野
posted by チヨ at 12:17| 奈良 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月20日

興福寺の特別公開2 五重塔の中

興福寺の五重塔は、730(天平2)年に、光明皇后の発願により建立されました。



相次ぐ罹災を受け、現在の塔は1426(応永33)年に再建された6代目の塔だそうです。



高さは50.1m。
京都の教王護国寺(東寺)の五重塔に次ぐ全国で2番目に高い塔です。


興福寺五重塔

 興福寺五重塔


東寺五重塔


ちなみに、こちらは京都東寺の五重塔です。




奈良で生まれ、興福寺からも歩いて10分弱の所で育ち、今も暮らしている私にとって、五重塔は当たり前のようにそこに建っている建物の一つにすぎなかったのですが、実際に中に入るとなると、ちょっと感動です。まさか、中に入れるなんて思ってもみなかったですから。わーい(嬉しい顔)




西側の入り口から入ると、正面に阿弥陀三尊像がいらっしゃいます。



そのまま、左回りに北側へ行くと、弥勒三尊像がいらっしゃいます。


元々、塔というのは、仏舎利(お釈迦様の遺骨)を納めるために造られたインドのストゥーパが始まりなのだそうですが、ここ興福寺の五重塔では、中央心柱の下の部分に納められているそうです。


北側の弥勒三尊像の前でしゃがむと、心柱の下の方がしっかりと拝見出来ます。


さらに、東に回ると薬師三尊像が、南に回ると釈迦三尊像がいらっしゃいました。



私は午前10時前、比較的朝早くに出かけたので、待ち時間もなく拝観できましたが、10時を過ぎたころから観光バスがやってきたりして、少し待ち時間が出ていたようです。



可能ならば、平日の朝早くに行かれた方がいいかもしれません。
(とはいっても、拝観時間は午前9時からですが・・・)



ちなみに、国宝館(料金別途)は、午前9時台にして、すでに長蛇の列ができていました。


さすが、阿修羅様の人気は今なおすごいです!ぴかぴか(新しい)
ラベル:奈良市
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2010年10月19日

興福寺の特別公開1 超イケメンの秘仏

興福寺の五重塔初層と東金堂の後堂が特別公開されているので、見に行ってきました。









興福寺の東金堂は、726年聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気平癒を願って建立されました。


その後、5回の罹災を受け現在の建物は、1415年に再建されたものだそうです。


堂内では、本尊の薬師如来坐像をはじめ、国宝、重文の仏像を拝観できますが、今回、後堂で50年ぶりに東金堂に戻ったという正了知(しょうりょうち)大将像が特別に公開されることになりました。



正了知大将像は、像高が167cm。


「金光明最勝王経」などに説かれる仏法の守護神だそうで、東金堂創建当初から後堂に安置されていたそうです。


1017年の火災の際に、踊り出て焼失を免れたことから「踊り大将」とも呼ばれているそうです。



現在の像は、室町時代に再興されたものだそうです。





実は、私はこの正了知様を何度かテレビで拝見していて、なかなかのイケメンだなあと思っておりました。
それ故、お会いするのを非常に楽しみにしておりました。



実際、お会いしてみると、凛々しくてそんなに大きくないのに威厳があってかっこいい、超イケメンさんでした。わーい(嬉しい顔)



阿修羅様もかっこいいですが、私は個人的にこちらの方がタイプです。ハートたち(複数ハート)



せっかくなので、絵ハガキでもあれば買って帰ろうと思ったのですが、見当たりません。
ショップの方に聞くと、正了知様のものはないそうです。残念!もうやだ〜(悲しい顔)


興福寺の五重塔初層と東金堂後堂の特別公開は11月23日までです。拝観料は、両方セットで1000円です。





ラベル:奈良市
posted by チヨ at 11:58| 奈良 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月18日

再び吉野へ3 喜蔵院

櫻本坊からさらに歩いて2分ほど行くと、喜蔵院があります。


こちらのお寺は、承和年間(834〜848)に、近江園城寺(三井寺・天台宗)を開基した智証大師(円珍)が、金峯山寺の塔頭として創建したと言われているそうです。




大峰山寺の5つある護国寺の1つでもあります。



ちなみに、他の4つは竹林院、櫻本坊、東南院、そして天川村の龍泉寺です。




吉野・熊野修験道には、本山派(天台宗聖護院)と当山派(真言宗三宝院)の2派があって、入峰順路が、本山派は、熊野から吉野に進む順峰(じゅんぷ)なのに対し、当山派は、吉野から熊野へ進む逆峰(ぎゅくぶ)と決まっているそうなのですが、この喜蔵院は、本山派入峰の到着所となっているそうです。





さて、いよいよバス停に戻り、奥千本に向かいます。
ラベル:吉野
posted by チヨ at 11:23| 奈良 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月16日

東大寺戒壇院千手堂

まだまだ、吉野のことを書きたいのですが、昨日から東大寺戒壇院の千手堂が特別に公開されているということで、早速行ってきましたので、そのことを書きたいと思います。








東大寺戒壇院は、754年に聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇らに受戒された鑑真和上が、翌年、大仏殿の西側に開かれました。


千手堂は、戒壇院戒壇堂のさらに西にあります。


大仏殿が、修学旅行生や団体旅行客でにぎやかなのに比べ、非常に静かで落ち着いた雰囲気の所です。



千手堂は、通常非公開なのですが、今回特別に公開されることになったそうです。




頂いたパンフレットによると、千手堂は鎌倉時代の後期に東大寺大勧進に任じられた圓照上人によって建てられたそうです。


1567年、三好・松永の兵火で焼失しましたが、1606年には、再建されそうです。


さらに、最近では、平成10年に被災しましたが平成14年に被災前の姿に戻ったそうです。



さて、お堂の中に入りますと、中央には金に輝く千手観音様がいらっしゃいました。
この像は、桧の寄木造りに金を塗ったものだそうです。


まわりを囲んでいらっしゃる四天王様も、桧材でできているそうです。



これら5体を収めてある黒漆塗りの厨子は、平成10年の火災で内壁の色彩画が損傷したそうですが、見事に復元模写されたとのことです。



さらに奥に進むと、非常に目の大きな愛染明王様がいらっしゃいました。
こちらもまた、桧の寄木造り。


さらに、千手堂には鑑真和上像もお祀りされているそうなのですが、あいにく中国に出張中とのことで、鑑真和上画が、壁に掛けられておりました。




千手堂の特別公開は、10月15日から10月31日までです。拝観時間は午前10時から午後4時まで。ちなみに、拝観料は500円です。
ラベル:奈良市
posted by チヨ at 20:53| 奈良 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする