2010年12月31日

大仏様のお顔が見える

いよいよ、今年も今日で終わり。



大晦日から元日にかけて、初詣に出かけられる方も多いと思います。



東大寺の大仏殿では、大晦日から元日の午前8時まで、観相窓が開けられ、大仏様のお顔が外から拝見出来ます。



12/31の何時からなのかはよく知りませんが、1/1の午前8時までなら、無料で大仏殿を拝観できます。



no-title



私自身は、少々風邪気味なので今回も行けるかどうかはわかりませんが、



もし行かれる方がいらっしゃったら、くれぐれも寒さ対策は万全にしてくださいね。






つたないブログを読んでくださり、ありがとうございました。



来年も、無理のないペースで書いていこうと思います。



それでは、よいお年をお迎えください。
ラベル:奈良市
posted by チヨ at 12:14| 奈良 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大願寺

最後に大願寺に行きました。



大願寺は、大宇陀バス停のちょうど裏あたり、少し坂を登った所にあります。







聖徳太子が蘇我馬子に命じて建立させたと伝えられているそうです。



境内は自由に見学できます。



こちらのご本尊は十一面観音菩薩立像で、長谷寺の徳道上人が造ったと言われています。



右手に錫杖を持っていることから、長谷寺式観音の「試みの像」と言われているそうです。



また、1885(明治18)年に本堂が焼失した際、頭部と両腕がなくなりましたが、のちに発見されて復されたため「焼けずの観音」とも呼ばれるようになり、火災除けの霊験が加わったそうです。



境内の奥には、「おちゃめ庚申」と呼ばれる庚申石仏があります。



no-title

おちゃめ庚申



石仏に刻まれた申が漫画風で愛らしいので、「おちゃめ」庚申の名で呼ばれるようになったとのことです。



no-title

 おちゃめ庚申アップ



大願寺は薬草料理でも知られる寺で、季節により予約をすれば薬草料理をいただけるそうです。



興味のある方は、大願寺に直接電話してみてください。



大願寺tel    0745−83−0325



no-title


お料理は、こちらでいただけるみたいです。
ラベル:宇陀市
posted by チヨ at 11:55| 奈良 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月27日

阿騎野・人麻呂公園

かぎろひの丘万葉公園から、100mほどの所に阿騎野・人麻呂公園はあります。



中之庄遺跡を復元、保存し、公園として整備したのだそうです。



馬に乗った柿本人麻呂の像が立ち、



竪穴式住居や掘立柱建物が復元されています。


no-title

馬に乗った柿本人麻呂像



no-title

 竪穴式住居の復元


no-title

 掘立柱建物の復元




ラベル:宇陀市
posted by チヨ at 14:09| 奈良 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月25日

かぎろひの丘 万葉公園

阿紀神社の前の橋を渡り、そのまままっすぐ道なりに行くと、5分ほどでかぎろひの丘 万葉公園に到着です。







その名の通り、少し石段を登った丘の上にあります。



公園といってもそんなに広くはありません。



no-title

 かぎろひの丘 万葉公園



この写真に、ほぼ全体が映ってしまうくらいの広さです。



この辺りは、飛鳥時代から宮廷の狩場になっていた場所と考えられています。



写真右手の細長い石碑は、柿本人麻呂の歌碑で、



「ひむがしの 野にかぎろひの 立つ見えて かへりみすれば 月かたぶきぬ」



という、歌が刻まれています。



これは、軽皇子(かるのみこ=後の文武天皇)の狩りのお伴をした柿本人麻呂が、夜明けの自然現象である「かぎろひ」を見て詠んだ歌なのだそうです。



毎年旧暦の11月17日にはこの場所で、「かぎろひを観る会」が開かれるそうです。



つい最近では、12月22日の午前4時から開催されたそうです。



「かぎろひ」がどんなものなのか、見てみたい気もしますが、なんか寒そうです。ふらふら







ラベル:宇陀市
posted by チヨ at 11:55| 奈良 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月23日

阿紀神社

徳源寺から国道沿いへと戻り、そのまま南は向かって歩いて行くと、「阿紀神社」と書かれた手書きの道標があります。



矢印に従って右に折れ、さらにしばらく歩いて行くと、阿紀神社があります。







松山地区から徳源寺までは、要所要所に道標があって道に迷うことはありませんが、ここは先ほどの手書きの道標しかなく、ちょっとわかりづらかったです。



まあ、道なりに進んでいけばいいんですけど・・・



最初のうちは、神社らしい建物がなかなか見えてこないので、



「この道でいいのかな?」と、少し不安にもなりました。



ようやく到着。



no-title

 阿紀神社本殿



こちらは、垂仁天皇の時代に倭姫命が天照大神を祀ったのが始まりと言われています。



本殿は、伊勢神宮と同じ神明造りで、向きも伊勢神宮と同じく南向きです。



境内には、能舞台もあります。



no-title

 阿紀神社・能舞台



毎年6月には、薪能が奉納されるそうです。




境内はなんか神々しい雰囲気というか、聖域といった感じがしました。
ラベル:宇陀市
posted by チヨ at 12:23| 奈良 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

織田家菩提寺・徳源寺

松山西口関門から歩いて15分ほどの所に、徳源寺があります。







徳源寺は、織田家第2代松山藩主・織田高長が、父・信雄の菩提を弔うために創建したと言われています。



石段を登ると、一見お寺とは思えないような建物が、ひっそりと建っています。



no-title

 徳源寺



写真の鳥居の左手に坂道があり、そこを登っていくと、織田家の墓所があり、4基の五輪塔が立っています。



no-title



織田信雄、高長、長頼、信武の4人がここに眠っています。



ただ、五輪塔に刻まれた字が風化して読みにくく、どれが誰のものだかはよくわかりませんでした。

ラベル:宇陀市
posted by チヨ at 11:52| 奈良 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月22日

途中こんなところも・・・

森野旧薬園から松山西口関門へ向かう道は、古い街並みが続きますが、途中こんなところもありました。


no-title

宇陀市大宇陀歴史文化館「薬の館」



「薬の館」は、薬商だった細川家の旧住宅で、今は大宇陀の歴史資料を展示する施設だそうです。



この町発祥のツムラやロート製薬、さらには細川家と縁のある藤沢友吉が創業した藤沢薬品(現・アステラス製薬)といった製薬会社関係の資料を多く展示しているそうです。



残念ながら、12/15〜1/15までは休みだそうで、見学できませんでした。




ラベル:宇陀市
posted by チヨ at 14:03| 奈良 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

城下町唯一の遺構

松山地区は、元々は松山城の城下町だったところです。



松山城は、標高473mの古城山(こじょうやま)の山頂に、土豪・秋山氏が山城を築き本拠としたのが始まりです。



当初は、秋山城と呼ばれていました。



1585(天正13)年、豊臣秀長が大和郡山城に入ると、秋山氏は伊賀国に追放され、豊臣系の大名たちが次々に送り込まれました。



その後、伊勢国長島から福島孝治が入部すると、秋山城は松山城と改められました。



しかし、1615(元和元)年、福島孝治の改易で松山城は廃され、小堀遠州らによって破却されました。



その後は、織田信長の次男・信雄(のぶかつ)が、松山藩主となり、以後4代にわたって織田家が藩主をつとめました。
(2代・高長、3代・長頼、4代・信武)



城下町時代の唯一の遺構が、松山西口関門です。



森野旧薬園から歩いて10分ほどの所にあります。







no-title

 松山西口関門



黒く塗られていることから、一般に黒門と呼ばれており、国の史跡に指定されています。
ラベル:宇陀市
posted by チヨ at 13:50| 奈良 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする